【第3回将棋電王戦】やねうらお氏とやねうら王の今後に私は期待する
【第3回将棋電王戦】第2局は「やねうら王」勝利~しかし、佐藤6段と将棋連盟はヒドくないか?
以前書いたこの記事に対して、同じ方から何度か非公開のコメントをいただいています。佐藤6段の練習40局は少ないとは言えない、というご趣旨のコメントです。追記の形で何度かお答えして来ましたが、最近同じ方からまたコメントをいただきました。今回のコメントは、森下9段の研究姿勢から見て、佐藤6段の練習40局も少ないとは言えない、とおっしゃるのです。また、やね氏の行動を批判し、佐藤6段が怒るのも無理はないとおっしゃっています。
しかし、同じように弱くて力負けしたプロ棋士が他にいたことが、練習対局が十分だったという評価の理由になるというのは、私には理解しかねます。
私の見解は、以前の記事やその追記ですでに十分説明済みで変える必要がないと思いますし、電王戦のその後の結果から見てもなおさらそう言えると思います。
総合的に見て人間がコンピュータより弱いことは、昨年の電王戦で判明していました。異を唱える人もいたようですが、今年の電王戦の結果からして、遠からず消えていくでしょう。人間が弱すぎて、興業をどう続けるかに頭を悩ます事態なのですから。
私は、強い将棋が見たいという立場です。この世界で最強の地位を失ったプロ棋士の存在意義も深刻に問われる事態だと思っています。実際、コンピュータ同士の将棋は非常に面白いですし、コンピュータが人間に勝つ、その見事な勝ちっぷりも非常に面白いです。とはいえ、人間が上回っている側面も残っており、勝つチャンスが無いわけではない。実際、勝ったプロ棋士の勝ちっぷり、勝利をもぎ取るための戦略とその戦略を現実化した将棋の実力と努力もまた見事で、それも非常に面白いのです。
プロ棋士は勝負師なのですから、彼我の実力を正確に把握して、弱いなら弱いなりに勝つためのベストの戦略を採るべきでしょう。
結果として最終的に勝ちには至らずとも、部分的に人間らしい強さを見せたプロ棋士もいましたし、それもまた面白かったことは認めます。
しかし、佐藤6段の将棋には「人間らしい強さ」という点では見るべきものは無かったと私は思います。
佐藤6段は、練習対局のチャンスを十分に与えられていながら本番で完全に力負けした弱者なのです。「正々堂々と勝負したい」という気持ちがあったとしても、身の程知らずだったということにしかなりません。練習対局で彼我の実力を正確に把握して、何らかの対処をすべきだった、ということにしかなりません。
佐藤6段は、プロ棋士でありながら、勝負としての結果だけでなく将棋の内容としての結果も出せていないわけです。斬られ役にしても、見せ場くらいは作ってほしかった。私に言わせれば、佐藤6段には怒る資格がない。
今後強くて面白い将棋を見せてくれることを期待できるのは、佐藤6段ではなくて、やねうらお氏とやねうら王です。そういう意味では、佐藤6段よりもやね氏の方が将棋界にとってはるかに貴重な人材です。弱いプロ棋士が強いソフトの作者に対して、将棋に関わるな、などと暴言を吐いたのは、強い将棋を見たい私からすれば、弱者の独りよがりであって、余計なお世話でしかありません。(こういうことはハッキリと書きたくはなかったんですが…。)
それに、コンピュータ将棋ソフトに関するやねうらお氏の記事は、将棋に関してもソフトに関しても、極めて面白く興味深い内容で、そういう面でも、やね氏は貴重な人材といえます。
※もちろん、他のソフト開発者のみなさまにも期待しております。
※「強さが正義」みたいな私の考え方は、あくまでプロ将棋についてだけです。職業柄、誤解されると困りますので…。
弁護士が使命の一つとする「社会正義」(弁護士法1条1項)は全然別物です。また、ある意味、「弱い者がどうやって強い者に勝つのか」を必死で追求するのも私どもの仕事です。プロである以上、何よりも依頼人のご意向次第ですが、「正々堂々と闘って完敗した」ということでご納得いただける依頼人の方は珍しいのではないでしょうか。彼我の強み・弱みを可能な限り分析して、結果を出す、結果が見込み薄なら場合によっては闘いを一時的に又は永久に回避することも勧める…、弁護士にも勝負師の側面があります。
※なお、以前にも書いたことですが、佐藤6段の練習対局の結果・内容が公開されれば、上で述べた現在の評価が変わる可能性があることも私は否定しません。しかし、現段階では、確たる事実、すなわち、本番の結果・内容からモノを考えるべきです。
以前書いたこの記事に対して、同じ方から何度か非公開のコメントをいただいています。佐藤6段の練習40局は少ないとは言えない、というご趣旨のコメントです。追記の形で何度かお答えして来ましたが、最近同じ方からまたコメントをいただきました。今回のコメントは、森下9段の研究姿勢から見て、佐藤6段の練習40局も少ないとは言えない、とおっしゃるのです。また、やね氏の行動を批判し、佐藤6段が怒るのも無理はないとおっしゃっています。
しかし、同じように弱くて力負けしたプロ棋士が他にいたことが、練習対局が十分だったという評価の理由になるというのは、私には理解しかねます。
私の見解は、以前の記事やその追記ですでに十分説明済みで変える必要がないと思いますし、電王戦のその後の結果から見てもなおさらそう言えると思います。
総合的に見て人間がコンピュータより弱いことは、昨年の電王戦で判明していました。異を唱える人もいたようですが、今年の電王戦の結果からして、遠からず消えていくでしょう。人間が弱すぎて、興業をどう続けるかに頭を悩ます事態なのですから。
私は、強い将棋が見たいという立場です。この世界で最強の地位を失ったプロ棋士の存在意義も深刻に問われる事態だと思っています。実際、コンピュータ同士の将棋は非常に面白いですし、コンピュータが人間に勝つ、その見事な勝ちっぷりも非常に面白いです。とはいえ、人間が上回っている側面も残っており、勝つチャンスが無いわけではない。実際、勝ったプロ棋士の勝ちっぷり、勝利をもぎ取るための戦略とその戦略を現実化した将棋の実力と努力もまた見事で、それも非常に面白いのです。
プロ棋士は勝負師なのですから、彼我の実力を正確に把握して、弱いなら弱いなりに勝つためのベストの戦略を採るべきでしょう。
結果として最終的に勝ちには至らずとも、部分的に人間らしい強さを見せたプロ棋士もいましたし、それもまた面白かったことは認めます。
しかし、佐藤6段の将棋には「人間らしい強さ」という点では見るべきものは無かったと私は思います。
佐藤6段は、練習対局のチャンスを十分に与えられていながら本番で完全に力負けした弱者なのです。「正々堂々と勝負したい」という気持ちがあったとしても、身の程知らずだったということにしかなりません。練習対局で彼我の実力を正確に把握して、何らかの対処をすべきだった、ということにしかなりません。
佐藤6段は、プロ棋士でありながら、勝負としての結果だけでなく将棋の内容としての結果も出せていないわけです。斬られ役にしても、見せ場くらいは作ってほしかった。私に言わせれば、佐藤6段には怒る資格がない。
今後強くて面白い将棋を見せてくれることを期待できるのは、佐藤6段ではなくて、やねうらお氏とやねうら王です。そういう意味では、佐藤6段よりもやね氏の方が将棋界にとってはるかに貴重な人材です。弱いプロ棋士が強いソフトの作者に対して、将棋に関わるな、などと暴言を吐いたのは、強い将棋を見たい私からすれば、弱者の独りよがりであって、余計なお世話でしかありません。(こういうことはハッキリと書きたくはなかったんですが…。)
それに、コンピュータ将棋ソフトに関するやねうらお氏の記事は、将棋に関してもソフトに関しても、極めて面白く興味深い内容で、そういう面でも、やね氏は貴重な人材といえます。
※もちろん、他のソフト開発者のみなさまにも期待しております。
※「強さが正義」みたいな私の考え方は、あくまでプロ将棋についてだけです。職業柄、誤解されると困りますので…。
弁護士が使命の一つとする「社会正義」(弁護士法1条1項)は全然別物です。また、ある意味、「弱い者がどうやって強い者に勝つのか」を必死で追求するのも私どもの仕事です。プロである以上、何よりも依頼人のご意向次第ですが、「正々堂々と闘って完敗した」ということでご納得いただける依頼人の方は珍しいのではないでしょうか。彼我の強み・弱みを可能な限り分析して、結果を出す、結果が見込み薄なら場合によっては闘いを一時的に又は永久に回避することも勧める…、弁護士にも勝負師の側面があります。
※なお、以前にも書いたことですが、佐藤6段の練習対局の結果・内容が公開されれば、上で述べた現在の評価が変わる可能性があることも私は否定しません。しかし、現段階では、確たる事実、すなわち、本番の結果・内容からモノを考えるべきです。
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